こうやって思っている人って結構多いのでは、と思います。
今回はKeijiの第2回目の投稿です。
書き出しは前回のKazuの投稿をまねてみました笑
前回の投稿で、自己紹介とともに私の1本の芯について触れました。
つまり、私の少しだけ変わったキャリアの変更
(デザイン→国際協力→研究者ではなくビジネス)のなかで、
変わらない物は何なのか。
ここをお話しすると、なぜ今GMBAに参加することに
なったのか、に繋がってきますので、少しお話させていただきます。
数回に分けて投稿しますね。
私のキャリアは、デザインから始まりました。つまり”ものづくり”です。
絵もうまくないしセンスも良くないのに、「なんか格好いい物作ってみたい」
というとても不純な動機で、芸大のような学部がある大学に入学しました。
入学順位はビリでした泣
そこで幸いにも人生の恩師に出会い、国際協力活動にも精力的に参加しました。
ゼミの親友たちと寝食を共にしながら活動を続ける中で、
「ものを作ることってどんな意味があるのだろうか」
という根本的な疑問を持ちました。
自分としてはがんばって書いたので、
修士論文のまえがきに記した文章を引用します。(固いですが、、、)
筆者は4年の間の、芸術工学を通じたデザインを学んできた.様々な“もの”を生み出すプロセスを通し、すばらしい作品を作ることを目指すと同時に、作ることとはどういう意味を持っているのか、ということに疑問を持ち始めた.産業革命を経て大量生産が可能になった社会は、世界全体を規格化したことの代償に、以前は富裕層のみしか得られなかった恩恵に多くの人々が与ることができたのは事実である.しかしその歪みが、私たちが生きる地球の許容量の限界を超える可能性があるという形で、現在の私たちを苦しめている.筆者はその答えを、私たちがその恩恵に与っている“資源”に関する議論の中で求めたいと考えていた.デザインを学習してきた中で、「もの作り」に用いる素材に触れてきた.特に楮を用いた手透きの和紙という天然の素材から作り上げる作品を通し、素材、つまりは自然資源のすばらしさや豊かさを感じてきた.現在私たちが生活する環境は、特に日本を含めた先進国において、生活の周りを人工物に囲まれていることが一般的である.人工的に様々な資源を適切な形に加工及び利用して、その価値を最大限に高めることによって豊かさを求めてきた結果である.一方、人間はその恩恵に与りながら、逆説的に恩恵に求めすぎているのではないかと感じることも多い.
そう考える中で、自分でデザインを通したモノ作りをし続けるのではなく、
そもそもその仕組みってどうなっていて、何が問題で、
どうすればそれらを解決していけるのか、
どうすればそれらを解決していけるのか、
というところを根本から分析し、それらを深く見つめてみたくなったのです。
”デザイン→国際協力→研究者”と意思が変わってきたのはこの頃からです。
ここでデザインから国際協力に専門を大きくシフトし、
大学院から経済学を、しかも英語で学ぼうという無謀な挑戦がはじまりました。
(それはそれは大変でした。。。)
******
続きは第3回目の投稿にてまた書かせていただきます。
”国際協力→カンボジア→研究orビジネス”と変化があり、
社内留学選考への応募も含めた、MBAに至るまでの流れをご紹介します。
社内留学選考への応募も含めた、MBAに至るまでの流れをご紹介します。
大阪SessionのFinancial Accountingももう少しで終わります。
本日の投稿はKeijiでした。
明日はMakotoさんです!乞うご期待!
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